頭ン中をたれ流そう

とりとめのない頭の外部メモ帳

言の葉に乗せること

 こんにちは、梅雨はどこに行ったのか不思議でならない大学生だ。

 

 我々人間が人間として生きていく中で避けることが出来ないのは、他人とのコミュニケーションである。ということに気付くのはきっと来ない。

 

 言葉の上での理解なら小学生でも幼稚園児でも言葉にならなくてもぼんやりとした感覚として持ち続けることになるだろう。

 

 けれども真の意味での理解というのはいつやってくるのだろう。

 

 思うに普通じゃ来ない。

 

 なんとなくアバウトな大切さとして胸の中に留めておくぐらいにして、形のある存在として持ち続けることは難しいんじゃないか。

 

 それこそ孤独に苛まれた時なんて言うのはまさに他人とのコミュニケーションを欲している証拠だ。けれどもはっきりと表せる気がしない。

 

 今日のテーマは「言葉」。文字じゃなくて言葉。

 

 日ごろ何気なく使う「言葉」というフレーズ。

 よくよく漢字の意味を考えてみれば物凄く素敵なものを孕んでいる。

 

 そんなものは既に先人の世界の中で多くを語られてきたのだからここでは省略する。

 

言葉にするとその思いはなんだか軽くなってしまうような気がする。

 

 君が好きだ

でも

愛している

でも

絶対就職

でも

売上百万

でも

 

 なんでもいいけど、言葉にすることで軽くなる気がする。

 でも他者に伝えるにあたっては最も早くてわかりやすくて。

 

 言葉は文字じゃない、雰囲気も話し方も人柄も時間もすべてが詰まったものだ。

 

 言葉を語るに至るまでの過程で積み上げたものがその言葉を強くしてくれる気がする。

 

  ただ思っていることが行動につながるとも思わない、言葉と思いと行動は常に影響を与え合うことで、方向の定まらない人間らしさをにじませてくれる。

 

 ふわふわとアメーバ状になった僕はどんな言葉で他人とコミュニケーションをとればいいのだろうか。