(金を得るということ、そしてプロレタリアートとして存在する一個性の消滅)を見返してみると随分イカレてる
こんにちは。
いよいよ大学がスタートし、新入生がドッとやってきた。が
ま~~~た女性だけの学年ができてしまったことによって三年に四人、二年に二人という数少ない男性の肩身がより一層狭くなったような気がする春です。
秋田ではようやく桜も咲き始め、心地よい風とぽかぽか太陽がやさしく包み込むような素晴らしい季節の到来。
それに伴って増える苦難たち、それすなわち「出費」。
新歓やら教科書やら税金やらぽこぽこ現れる支払いの機会、出てくるのはつぼみだけでいいっつうの。
というわけで本日の脳内メモ的ブログのテーマは金です。
お金(貨幣)は好きですか?
僕は人並みに好きです、金で食う焼肉は旨い。
いやぁね、金が先か労働が先か。
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と、ここまで書いたのが04/21。
一週間たって自分の書いた記事を見てみるとやっぱり変だなと思うことがあるわけです。
まず第一に題名が長い、何を言いたいのかわかりづらいことこの上ないですがやっぱり言いたいことは
「金がねえ」
ということだったんじゃないでしょうか?今もないもんはないですが。
というか元々~だ、~である、という語り口だったのに気が付けばここでは~です、~ます、になっている。統一感がなさすぎる訂正します。
そもそも確かこの下書きを書き終えたのが朝に近い深夜だったはず、加えてこの日はバイト終わりだったかなんかで布団の中に居つつぱちょこんを打鍵してた記憶がある。
やはり人間寝てない・疲れていると変な文章を書きがち。
しばしば言われるのは深夜に書いたラブレター(死語ですかね?)が朝見ると自分の感情丸出しのストレートすぎる内容になっていて、瞬間我に返り相手に出せなくなるor書き直すというあの現象。あれと似たようなもんだろうか。
これは酔っぱらった時と同じように自分の理性のタガが外れ、思いの丈を存分に書きなぐれるようになったからだろう。
そして酔っぱらった時に気を付けたいのはまさに余計なことをしないということ、大体ロクなことをしないのだ。
ならば同じように深夜帯は(重要なことは)何もしないというようにした方がよいのかもしれない...
あれ、もしかしてこの記事も変だったりして?