鈴木先生を見て「これは俺のバイブルの一つになる」と思った。
こんにちは。
タイトルそのまんまなんです。
大3の後期は結構講義数が少なくてこれまでよりも自由な時間が増えた。
その分、これまで考えることのなかった自分自身であるとか環境であるとか、そもそも「考えること」にリソースを割くことが出来るようになって、かなりうれしい。
そもそも私は考えることが好きだ。
答えの出ないことでも答えの出ることでも、自分の知らない何かを見つけようともがくこの気持ちは、唯一無二の快感であると言い切ってしまっても何らおかしくはないとおもっている。
無意識のままに生活することもそれは楽であるけれど、考えを巡らせることも大変すぎていけない、人間中庸さと極端さを程よく取り込まなければならないのだ。
さて、前置きが長くなってしまった。
突然だが鈴木先生という漫画をご存じだろうか?
↑これこれ
この漫画に出会ったのは高校生の頃だったと記憶している。
その時はまだできて間もない〇ンキに入っている〇ックオフプラスの漫画コーナーにポンと置かれているのを見て、タイトルから少し流し見をした。
この時からこの作品に対して面白さを純粋に感じていたし、自分が外言化できない思いを的確かつ分かりやすい言葉で表現してくれる鈴木先生や、泥臭さや気恥ずかしさでごまかしてしまう思春期の生徒の気持ちをとても上手く表現しているこの漫画に何よりも共感していた。
なおその場所にいたのは高三の冬だったと記憶している、完全に勉強から目を背けている。アホめ。
そうして、なぜ、今日思い切ってキンデル版を買ってしまったのかというとだ!!!
理由は簡単、母がアマプラでドラマの鈴木先生を見ていたからだよ......ッ。
おまけに一巻100とかいう破格だったからだよ......ッ。
まあもう一つある。
それは、自分が高校生から今に至るまでで多少なりとも「先生」という立場を想像できるようになったからだ。
ファーストコンタクトの時は鈴木先生が話すことに、完全に自分のこととして聞いていたが、今になってセリフを聞けば「先生」である自分を投影しながら見ることが出来るのだ。
そうやって、様々な自分を想像しながら読む中で、彼の言葉やその思いに熟考を重ね、彼の持つ信念を強く感じることができた。
そういった彼の態度を見る度に、己の未熟さと残された成長の余白をも感じた。
さて、本題だが、私は自分の中にバイブルと呼べる本・漫画がある
(安易にバイブルなどという言葉で自分の大切なものを飾りたくないが、私自身にそれを説明できるだけの言葉を持っていないという自覚があるのでそのまま表記する)。
一つは「伊豆の踊子」
一つは「こどものじかん」
きっとこの二作品が「あなたが大切にしている書籍は何ですか?」と聞かれた時に即答できるものだ。
中身については今ここで説明する気はない。
ただこの二つが好きなんだなと思ってもらえればいい。
さて、両方に共通する、私が大切にしたいと思ったことはなんなのか。
それは単純、感動したからだ。
別に泣くわけじゃない。
深く心を動かされたのだ。
自分はこの本・漫画を読んでからしばらくの間悶々とあれこれ考えさせられた。
そういったように、読んだ後でも自分の心を揺り動かして離れないからこそ、今でも読み直したり、すぐ答えられるくらいに覚えているのだ。
人それぞれの感動がある。
今回は書籍という一部分について切り取って考えてみたが、別にこのことだけではなく、様々な場面・雰囲気・場所・空気・モノ・人でも感動は起こりえるのだ。
自分の好きなものをより深く知ろうとするだけでも、もっと好きになれるんじゃないだろうか。